バス路線の沿革(戦前)

江若鉄道株式会社の旅客自動車事業、すなわち「江若バス」の歴史は、1931年11月に遡ります。同年11月1日、江若鉄道線は安曇駅~近江今津駅間が開業し、約10年半を経て浜大津~近江今津間が全通しました。その約3週間後の11月20日、湖西自動車株式会社から乗合自動車営業権を譲り受け、大溝駅(後の高島町駅)~今津駅間12.9kmで最初のバス路線が誕生しました。その後1935年3月までに今津駅~海津~大崎間、安曇駅~岩瀬間、和迩駅~途中間、浜大津駅~和迩間、安曇駅~南船木~北船木間、堅田駅~途中間と徐々に路線網を拡大していきました。一方、最初の路線である大溝~今津間は1934年に廃止されています。1930年代後半時点で路線総延長は72.9kmに達しました。1940年8月には今津駅~海津大崎間が廃止され、廃止区間を経由する省営バス琵琶湖線が開業しました。

他方、1937年に始まった日中戦争の影響でガソリンの消費規制が行われるようになり、1938年5月からガソリン節約のため、浜大津駅~和迩間および和迩駅~途中間が運転休止となりました。浜大津駅~和迩間は1940年8月に再開されましたが、1941年に再び堅田~和迩間が休止されました。堅田~和迩間は1946年頃まで、和迩駅~途中間は1940年代後半頃まで休止が続きました。

1930年代頃のバス乗車券(今津~海津間) 1934年時点のバス運賃表(今津~海津間)

1930年代のものと思われる今津駅~海津線の乗車券と当時の運賃表。この路線では1区の運賃が6銭であった。

1939年時点のバス路線図

1939年時点のバス路線図。当時、浜大津駅~和迩間および和迩駅~途中間は、ガソリン節約のため運転休止となっていた。

沿革

1923年3月17日
湖西自動車株式会社が大溝~今津間開業(高島郡におけるバスのはじめ)
1931年1月1日
江若鉄道線:安曇駅~近江今津駅間開業(浜大津~近江今津間全通)
1931年11月6日
湖西自動車株式会社より大溝~今津間の乗合自動車営業権を譲り受ける
1931年11月20日
大溝駅前~今津駅前間12.9kmでバス路線運行開始(「江若バス」のはじめ)
1932年6月28日
今津駅前~海津間免許
1932年9月1日
今津駅~海津間開業
1933年2月2日
安曇駅~岩瀬間譲受免許
1933年3月20日
安曇駅~岩瀬間開業
1933年8月1日
海津~大崎間免許
1933年8月?
海津~大崎間開業
1933年9月25日
和迩駅~途中間譲受許可
1933年9月29日
浜大津駅~和迩間、堅田駅~堅田町内間、安曇駅~南船木間免許
1933年10月15日
和迩駅~途中間開業
1933年11月20日
安曇駅~南船木間開業
1934年1月28日
浜大津駅~和迩間、堅田駅~浮御堂間開業
1934年7月
大溝~今津間廃止
1934年7月2日
南船木~北船木間免許
1934年11月頃
南船木~北船木間開業
1934年11月26日
真野村大字下河原~還来神社前間免許
1935年3月26日
真野村大字下河原~還来神社前間開業(和迩駅~途中~堅田駅間の系統運行開始)
1935年6月29日
大豪雨による和邇川氾濫のため、同日より和迩駅~途中間運行休止
1935年7月1日
和迩駅~途中~堅田駅間の運行系統を堅田駅~途中(還来神社前)間、堅田駅~下在地間の系統に変更
1935年8月5日
還来神社前~途中間運行再開(堅田駅発着便のみ)
1936年6月11日
和迩駅~還来神社前間運輸再開
1938年5月1日
ガソリン節約のため、同日より浜大津駅~和迩間、和迩駅~途中間運転休止
1940年8月10日
今津駅~海津大崎間廃止
省営バス(後の国鉄バス→西日本ジェイアールバス)琵琶湖線(弘川口~海津~木ノ本、蛭口~北牧野)開業
1940年8月15日
浜大津駅~和迩北浜間営業再開
1941年1月31日
和迩駅~和迩北浜間旅客自動車運輸事業休止許可
1941年9月10日
同日より和迩北浜以南5.4km(和迩駅~和迩北浜間?)運転休止
1941年頃
堅田~和迩間運転休止
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